にぼしのリタイア日記

鬱病でサラリーマンをリタイアした56歳男の復活日記

サラリーマンなんて会社の歯車・・・人生の軸足は家族に置くべき

なんとも悲哀に満ちた記事を読んでしまった(^^;
headlines.yahoo.co.jp
記事では、外出自粛でテレワーク、飲み会も中止。ずっと家にいたら、やることもないし、何か肩身が狭い。そしてふと気づくのだ。あれれ? もしかして自分は、会社でも家でも必要とされていないのでは……。(中略)「新型コロナウイルスの影響で、ウチの会社もテレワークが始まったんですよ。家で一日中、妻や娘と一緒にいることになるわけですね。学校も休みですから。すると、痛いんです。妻や娘の視線が。刺さるように痛いんです」鬱々とした口調でそう話すのは、中堅商社に勤める49歳の男性・久保田康雅さん(仮名)だ。「うちの社は社用パソコンが持ち出し禁止のため、自宅のリビングで家庭用パソコンを使って会議や仕事をしているのですが……。妻や娘がリビングにいる私を見ると、『またいる』とばかりに、露骨にため息をつくのです。ショックだったのは、私がパソコンを使い終わって席を外すと、娘がすごい勢いでキーボードやマウスをアルコール消毒したこと。冗談めかして、『おい、そりゃないだろ(笑)』って言ったら、『濃厚接触になるじゃない! 』と、まともにキレられて困惑しました」(中略)
 哀しみを語るのは、電機メーカー勤務の細田雄介さん(53歳・仮名)だ。「社内ではそれなりの役職で部長待遇くらい。でも、可能な限りテレワークせよという話になり、業務を最低限にして、出社を控えるようになったんです。ところが、会社って軽々と回るんですね。私が決裁していたものが頭を飛び越えたり、部下が自分で判断して進めたりしても、現場は普通に動き、なんの支障もない。今まで私がやっていた仕事はなんだったのか」 サラリーマンの性として、自分がいなければ職場は回らない、俺が目を光らせて部下の動向をチェックしなければ、などと考えたくなるもの。しかし、そんなことはまったくないのである。「自分自身では部下をまとめ、管理職として十分に社業に貢献していると自負していたのです。でも今はその部下たちが別の上長の指示で動き、何事もなく仕事をしています。不安でいっぱいですよ。部下たちが『前よりやりやすい』と思っていたら、どうしようとか。自分がいなくて逆に業績が上がってしまったら、俺の立場がないじゃないか、とか。テレワークだと部下たちと顔を合わせることもないし、上司や同僚が何を考えているかも分からない。分からないから、疑念や嫉妬に苛まれ情緒不安定になってしまう」と報じている。
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武漢肺炎の影響で自宅待機となったサラリーマンの悲哀が悲しい
仕事に費やしていた時間が武漢肺炎の影響で自宅で費やす必要が出たため、大きなストレスとなっている。
特に50歳前後の管理職がストレスを抱えているように思う。
家族には自宅で煙たがれ、会社では「あんたなんか居なくても仕事は回るよ」と気づかされ、俺の人生なんだったんだ?と悩んでしまう人も多いだろう。
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50歳でリタイアした私から言わせてもらえば、「人生の軸足の置き方を間違えてきましたね」と言いたい。
所詮、会社から見れば社員はある意味ただの歯車なのだ。
いくらでも替えが利くのだ!
しかし、家族は簡単に替えが利かない
だからこそ、人生の軸足は家族に置くべきなのだ!
そう言う私も気づいたのは40代後半なので偉そうなことは言えない(^^;